DV彼氏
彼、付き合うまではすごーく優しかったのに、付き合った瞬間に豹変したの。。
あんなにいい人だったのに。。。
結構聞くワードですよねえ。付き合う前に気づけよ!wとか思っちゃう派なんですが。
でもこれが当事者になると本当に気づけないんですよ。本当にびっくりな話。
去年、私の身に起きた出来事。
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「もう他に気移りするつもりはないよね?決めるって言ってたよね?」
「いや、実は正直に言うとこんなこと考えてます」
「いやいや、話違くない?おかしいよね?いつまでに決めるの?」
「納得感持ちたいんですよね~ ずっとそれに伴走してくれるっておっしゃってましたよね?」
「期限は今週までだから。それ以降になるなら辞退という扱いにさせてもらいます。」
「ええ。。。」
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…これは私が経験した怖い話です。
そうです、昨年の就活の話です。大人に流されて決めたくない、自分に最大限合う場所を模索したいと考えていたので、じっくりと様々な企業の面接に参加していた私。
去年の今頃はちょうど最後の意思決定に迷っていた時でした。
今までは伴走してくれている、優しいパートナーと思っていた人事が急に豹変。
いや、豹変はしていません。欲が出てきたというべきでしょうか。
でもこれが現実なんです。
人事側には人数のKPIが敷かれていて、その納期が迫るのが6月。
人間としてその人に寄り添うことを重視する面と、数字を追わなければならない
という両面のはざまでもがくことになる時間なのです。
だからこそ、「時間を置いて自分の頭でしっかりと考える」ことが本当に大切。
世の中の全ての人間は経験とそこから生まれる価値観が異なるので
全ての意見はその人の主観であり、その人のポジショントークになります。
そんなポジトークがあなたに襲い掛かり、人生を変えにきます。
だから私はひとつひとつの発言や意思表示にすごくこだわっています。
その人の人生を大きく変えてしまうかもしれないことなので、本当に。
ただ、就活生の皆さんはそんな「欲の権化と化したラスボス人事」に飲み込まれぬよう
押されぬよう、強く精神を持って決め切ってください。
なんとなく押された決めた意思決定には必ず言い訳が生まれます。
自分の人生を考え直してみましょう、そうやって親にキレたこと、ありますよね?
自分の人生の多くの時間を使う仕事でそんな風になってしまうのは本当に辛い。
だからこそ、冷静に、意思を持って。
Why are you here?
あなたは、あなただ。ゆるりと~
悩める若人
今日は大学時代の友人との久しぶりの再会。
「もう俺さ~転職サイトに応募したわ!笑」
笑笑
否。
笑い事じゃない世の中になってるんだなあ、と痛感。
私自身、秩序ない学生時代を過ごしてきたので彼の気持ちは痛いほどわかる。
社会って大変ですよ。
理不尽なこともたくさん起こるし、機会も均等なんかじゃない。
運で結果が決まることもあるし、そこは誰かが操作できる領域なんかじゃない。
今までの成功体験は捨て去らなければならないし、
失敗すること、ダメな自分を受け入れなければならないこともたくさんある。
朝起きることは辛いし、同時並行で考えて進めなければならないことは星の数ほどある。
それでも…
やはり環境に差は生まれるなあ、と。
こういった出来事に思考停止になって諦めてしまうことも、
その状況を嘆くことも違うと思う。
この環境のなかで自分ができることは何か、
そしてそれには自分にとって何の意味があるのか。
意味付けをできるかどうか、という力がすごく重要になってくる。
組織に属している以上、個人の感覚だけで行動ができるわけでないことはわかりきっている。
だとすれば、そこに自身なりの意義を見出すしかない。
ただここで注意すべきは、「奴隷になり、搾取」されることとは全く違うということだ。
そこの線引きを見誤ってはならない。
そしてもう一つ。
心理的安全が保証されているか、どうか。
これが最も大切なポイントなのではないだろうか。
自分が安全な環境を作っている、と認識することが重要ではない。
それをメンバーが、周りが感じられているかどうか、が肝なのだ。
我が上長にも、投げかけたい言葉ですね。笑
環境を変えるくらいの意識を持って、ブレずに。
僕は諦めないし、周りも巻き込んで良い世界へ。誓います。
ゆるりと~
Why are you here?
なに言ってんの。笑
そんなのできないでしょw くだらないでしょ~
って、何回もいわれてきました。僕自身、冷めてしまう時もありました。
これって意味ないでしょ。何のためにやってるんや。
何度も思ってきました。
自分が意味の分かれないルールって守れない人間なんです。
意味のないものは、意味がない。
それってはっきりと認めるべきだと思います。
長い慣習の中で埋もれてしまっている「無駄」であるという意識を、どうか発動して追いやりたいと思う。
私も含め、葛藤の中で日々生きている人は多いと思います。
僕は今、葛藤しています。
自分の選択は、意思決定は、何だか人とは乖離しているような気がする。
それは、目の前のことから目を背けて逃げようとしているとも言えるかもしれない。
いつも気丈に努めようとすればするほどに
自分は追い詰められてゆき、人にはわからないような悩みを抱えて胸を痛める。
周りを見渡せば、そこに無心に突き進もうとするものばかりで誰も、その先が奈落か、落とし穴か?
はたまた楽園なのか。検討をつけようともせずに走っていく。
Why are you here?
問われれば問われるほどにわからなくなりますね。調子が悪いというわけでもないのですが。
違和感は、拭えない。
違和感と、どう付き合うのか。向き合うのか。
思考せよ。ゆるりと~
【価値】ってなーんだ
価値って何でしょうか?
お金をいっぱい持っていること?勉強やスポーツができること? 世の中のためになっていること?
答えはないと思います。
彼女の料理がうまい!というのは彼氏にとっては価値ですが、お母さんにとっては悲しい真実かもしれません。
父親が働けないせいで…!
と嘆くあなたはそのおかげで自立した自分を手に入れているかもしれません。
とある国際関係の方からのお話で聞いたのですが、
アフリカの少年たちに靴を渡しても、翌日も足を怪我しているそうです。
理由は単純で、「履く意味がわからない」から。
彼らにとって靴は無価値、何ですよね。
提供する側に立っているものがこれは正しい!と思っていたとしてもそれは自己満足。
同時に考えるべきはこれをどのような価値として相手に返していくのか、ということ。
受け取り手がいて、それを実感して初めて価値というものが形を成すのだなあと。
逆も然り。悪い印象なども自分がどう見せたいか、ではなく相手がどう捉えるのか。ということ。
これはビジネスであろうと、普段の人間関係だろうと、はたまた就活であろうと同じかと思います。
単純そうに聞こえて、忘れがちなこと。意識を続けたいという自戒も込めています。
多様な利害関係の中で生きるようになったからこそ、良い意味で「あいて」を気遣える人であり続けたい。
かといって、萎縮はしない。地雷があろうとも、ど真ん中を通る意識で。
自分で決めたみちなのだから。ゆるりと~~
フリーダム
社会人になって初めてのGWで感じたこと。
こんなことを感じる日が、来るとは。
時間があることって、制約がないことって難しい。
週5日間会社に行って、会社では一定のミッションを課せられる。
それに向かって一生懸命に頑張る。 それはすごく大変なことなのだけれど
隙間時間や空白が、際立つんですよ。
帰宅してからの学習の時間、30分間のランニング。
就寝前の読書、週末の恋人との時間。。。
有限って、大切かもしれない。
一方の9連休。
確かにいつもの空白とは違う、膨大な時間がそこにはあったのですが、、、
意外にもあんまり生産的に過ごすことができなかった。
僕の技量でしょうか。はい、そうでしょう。
しかし、人間は制約があるからこそ、その限られた時間の中で頑張る生き物なのではないでしょうか。
限られた時間設定の中で、ミッションをこなす。
そこに熱意や意識の高ぶりが生まれ、それがアウトプットへと伝線してゆく。
限りないものに魅力はないのかもしれない。
諸行無常、有限こそが儚く、魅力的なのかもしれない。
締め切りが人を突き動かす。そこには確かにプレッシャーや焦りが、ある。
でもだからこそ、何気無い一瞬を、命を燃やして輝こうとするのかもしれない。
美しい。美しくあろう。
開けない夜はないってことです。最近キャリア形成というより哲学になりがち。笑
でも感じたことを深い思考なく徒然なるままに書きなぐりたくなってしまいます。。
実践的な学びも必要ですよね。Twitterも活用して広げていきますよ~。
ゆるりと~
押し寄せる波
本日、雨の中ランニングをしていたら
スマホ片手に色んな方向を向いて立ち尽くす人たちがいた。
「なんだこの人たち…不気味やな。てか、ポケモントレーナーみたいな立ち方やん。」
…ポケモントレーナーでした。
彼らがやっていたのはおそらくポケモンGO
実際に彼らに見える世界でポケモンゲットに勤しんでいたのですね。
小学生から中高年まで、様々なタイプの人が世界に入り込んでいる姿は異様ともいえました。
10年前、いや5年前ですらこんな姿を日常の中に見ることを想像できただろうか。
僕らのイメージするオンラインはオフラインとは完全に切り離されていて、何か箱の中を覗くような感覚でログインをするイメージ。
しかし今やオンラインとオフラインは確実につながってきていてARやVR、そしてそれをサポートする5Gと言う通信スタイルによって今後、その垣根は確実になくなっていくのだろう。
動物園に行く、というライフスタイルが消滅するかもしれないし
友達に会いに行く、帰省すると言った概念も過去のものになるのかもしれない。
こうして僕たちが想像できないレベルのIT化の波は確実に押し寄せてくる。
そこに思いを馳せ、そこからどのように逃げるのかを考えるのではなく、いかにしてそこと同居できるのか
共存、共栄して行くのか。
そんなことを考えることが大切なのだと思います。
Excelによって事務作業がなくなったわけではなく、Excelが使える人とそうでない人に分断されたように。
僕は今日もリアルを生きますが、そのリアルはリアルではなくなるのかもしれない。
なんか、厨二病みたい。おもろい。笑
ゆるりと~
ムリなものは、ムリ。
小学生の頃からおもっていたことです。
「べき」論の強い環境で育ったじぶんは常に疑問を抱いて居ました。
遅刻って本当にいけないのかな?
なんで先生には間違ってるって言ったら怒られるんだろう
太っている人っていけないのかな?
様々なことを考えてましたね。
部活やっている奴が偉い?勉強ができたらすごい?
人の言うことを聞いている人が真面目?本音は言えない??
いつ気づいたのだろう。高校生くらいの時かなあ。
いいや、潜在的にはもう気づいて居たのかもしれない。
それは「みんな違って、みんな良い」みたいな綺麗なものではなくて
「なんだっていいだろう。」「好きにさせてくれ。好きにやらしてやれ。」
と言う抑圧からの解放の叫びだったかもしれない、と。
どうでもいいと思う。人に迷惑をかけなければ。思ったことをいったって、ルールを守れなくたって。
社会に順応できなくったて。
勝てば官軍。どっちが正義とかはない。勝ったやつが正義。
と言うようにどっちが良いとかないよ。いい悪いじゃない。
ただ、苦手なものは苦手。この人とは上手くいかない。
これは上手くできない。したくない。
人間って、そんなもんだと思うよ。一周回って。
ゆるりと~